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NRSは、兵庫県西宮市越水町にある
スポーツサイクル専門の自転車屋です。
ロードレーサー,トライアスロンバイク,
ツーリングバイク,シティバイクの販売、
修理。
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Neutral Racing Service

〒662-0864
兵庫県西宮市越水町1-2
ニューフタバサンモール内
駐車場有
TEL 0798-22-1988
営業時間 10:00~19:00
定休日:水曜日&木曜日
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Column
私が現役時代に犯したドーピング

ドーピングと言うと、一般的には薬物摂取を思い浮かべる人が多いと思います。しかし、元々はパフォーマンスを上げる為の「行為」もドーピングに含まれます。
このコンテンツの正式な名称は「私が犯したドーピング行為」です。このWEBで最初に書きたかったコンテンツです。
ソウルオリンピック選考レースに出場した際、落下してきた中継のテレビカメラに激突するというアクシデントに遭いました。その時、国立大阪病院に入院し、競技復帰をしようとしていた時のことです。
私は、アスリートとしてとんでもなく恵まれていない身体をしていることを、アスリート相手のスポーツドクター3から言われました。
「骨盤が小さすぎる。脚の筋力に負けてしまって、股関節脱臼状態だ。」
「関節が細すぎる。膝がグラグラだ。握力に負けて、手首も疲労骨折している」
「肩から出ている頚椎が君は常人より一つ半多い。空気抵抗を減らすために前傾しながら前を
見なければいけない自転車の選手としては、致命的だ。」
「君を競技復帰させる事は障害者になることを意味する。医者としてそれは出来ない」。
それが、アクシデントから何とか競技復帰をしようとしていた私に告げられた、精密検査の結果でした。
私は、いわゆる練習チャンピオンではありません。クラブの練習や県代表選手相手のロード練習などでは
何時も最下位でした。
それは、練習はあくまでレースで結果を出す(勝つ)ためのものであるという信念に基づいて、ハイインテンシティートレーニングに悲鳴をあげる、鍛えようの無い弱い身体のと向き合いながら、練習に参加していたからです。いつも、最小限の課題を持ってそれを完璧に克服する事を続けていました。
当時、身長は171cmちょっとで体重は53kg弱。
3年かけてクランク長167.5mmでアウター48Tからギアを50Tへ。そしてクランク長を170に伸ばして何とか52Tを踏めるように身体を作りました。
そんな身体で、1986年の山梨国体ロードで三浦さん、安原さん、大門さん、佐藤稔実さん、林さんのアタックに乗っていたのです。
53Tをぶん回すそうそうたるメンバーのアタックで私が引けるわけも無く、前へ出ると「おまえ下がれ」と怒鳴られたものです。
山梨国体のコースは、総距離131キロで高低差100メートルという、ハイスピードフルフラットコース。
そこで、私はラスト100キロから130キロまでの逃げに乗った。最後は集団に飲み込まれ、アタックは失敗に終わったが、初めての国体でいい経験が出来たと今でも幸せに思っている。
この国体の兵庫代表になるため、私が倒さなければいけなかったのはファクトリーチームの選手だった。
練習では一度たりとも彼等の足元にも及ばないような私の走りを知っていたファクトリーチームの選手たちは、レースでの私のパフォーマンスに驚くとともに、それを認めようとしなかった。クラブチームの私に負ける事は、ファクトリーチームを放出されることを意味し、結局二人とも自転車競技から去っていった。
一人は、私に負けた後○ラヤレーシングを放出され、プライベートでアルペンスキーのダウンヒルの選手になっていた。ある夏の県大会の応援にきてくれた。「スキーで大腿骨折ってしもた。今度は、スキーで国体目指してるねん」と笑顔で私に言葉を掛けてくれた。
共に戦った、まさに戦友である。
もう一人の選手はその時のことを今でも根に持っているようで心苦しく感じる。
彼とは3万メートルポイント決勝で競い合い、私が優勝した。
雌雄は完璧に決していたのだが、彼にとって私に負けるということは到底受け入れられない事実だったのだろう。
15年以上経った今でも顔を合わせるたびに「おまえにはタイムで負けただけや。レースでは負けてへん。」とガンを飛ばしてメンチをきってくる。彼にとって、私は今だライバルのままなんだなぁと、嬉しい気持ちもあるが、私に負けた事がトラウマになってしまって自転車競技から去っていってしまったことに対して、とても悲しく思う。
少なくとも(結構多くの人がいたと思います)彼は、私が犯したドーピング行為によってトラウマを抱えてしまったと言い切れます。
私が犯してしまったドーピング行為とは・・・
・人が練習をしていない時に練習をしていました。
例えば、土砂降りの雨の日には、アマガエルよろしく喜んで走りに行ったものです。フルタイムワーカーだったので、ナイトランがメインだが、土砂降りの高野山や金剛山にも平気でロード練習に行っていました。
 
逆に、晴れた日曜は見せつけるように、わざとオネ~ちゃんたちと映画を観にいったりしていた。そして、それをこれ見よがしに、ふれまわりました・・・。なんと言う性格の悪さでしょ(笑)。
私の中では、こういった行為はドーピングなのです。
正々堂々と皆と同じ練習をしていればよかったのですが、いかんせん身体のつくりが貧弱で、通常の練習では速くなるどころか、潰れてしまいます。情けないことです。
私が土砂降りの夜中に練習なんぞしていることなど皆知らない。
 
そして、合同練習では、自分が設定した練習課題に集中して、後は流して走っていました。結果、練習では私が一番遅かったのです。でも、レースでは私はコンスタントに上位に入っていました。
こういった行動は、兵庫の先輩から「あいつは、日曜の練習をチョクチョク遊びに行くために休むし、いっしょに練習をしていても、全然速くない。」と言われたことに対する私なりの取り組みでした。
その先輩から、「人の練習していない時に練習をしろ」と言われました。
雨の日に喜んで走る人ってあまりいませんよね。土砂降りの金剛山や高野山や六甲山を走る人なんて、
まず居ないと思います。雨の日のランは全身ずぶ濡れになり、練習以上に環境のほうがキツくて、練習の辛さを忘れさせてくれました。ただ、雨が体温を奪うので、走る分以上のカロリーを補給しながらの練習でした。
フルタイムワーカーだったので、平日はナイトランが中心になります。土砂降りの中、何度夜の金剛山を走ったことか…。
ねぇ、○IA-COMPEにいたM君。
M君が負けを認めようとしないことはなんとも思わない。
でもね、私はM君を倒すために骨身を削って、影で練習してたんだよ。
おかげで、今はもう身体はポンコツで脚はスカスカです。
でも、あの夏、あの3万メートルポイントレースでM君を倒せた事は、私にとって誇りなんだ。
たくさんのトロフィーや表彰状は選手を辞めた時に破棄したけれど、君と競って勝ち取ったレースの盾は、
ずっと捨てずにしまいこんであるんだ。
でも、次会う時も、M君はガンを飛ばしてくるんやろうな~。
この先、いつか、どこかで、またふと出会ったとき、M君が私に負けた事を認めなくても良いよ。
それは、あの年、あの夏の明石のバンクでM君と競い合った時間が永遠に終わらない大切なものだと言う事だから。
陳腐な言い方だけれども、きっとそれは「青春」というものなんだと思う。

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