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NRSは、兵庫県西宮市越水町にある
スポーツサイクル専門の自転車屋です。
ロードレーサー,トライアスロンバイク,
ツーリングバイク,シティバイクの販売、
修理。
カーボンホイールやカスタムバイクの
ご相談もお気軽にお問い合わせください。

Neutral Racing Service

〒662-0864
兵庫県西宮市越水町1-2
ニューフタバサンモール内
駐車場有
TEL 0798-22-1988
営業時間 10:00~19:00
定休日:水曜日&木曜日
アクセスマップ
コラム01
三浦恭資さん

急遽、1999ツアーオブジャパン修善寺ステージからJPCAのマネージャーという大任を保坂氏より引き継いだ時、
チームのキャプテンでありエースであったのが三浦恭資さんでした。JPCAのマネージャーをする事も、そのチームに三浦恭資さんがいる事も知らなかった私は「ここは何処?私は誰?」状態に(苦笑)。
三浦恭資さんについて語る前に、この人の名前を先に挙げないわけにはいかないでしょう。その人は、私が人生の半分以上に亘って自転車競技と言うモノと関りつづける要因となっている人です。
その人の名は、森幸春。
三浦恭資さんは、森幸春氏率いるミヤタレーシングのBチームから、伝説の「チームMICHIHO」でヨーロッパに渡りました。現在は廃刊となってしまった「自転車競技マガジン」に森幸春氏の渡欧手記とチームMICHIHOについての話が毎月掲載されており、私は食い入るように読みふけっていました。
ミヤタのBチームのパーシューターである三浦氏がチームMICHIHOに入ったことは、正直疑問に感じました。実際、初期の頃の森幸春氏の渡欧手記に三浦氏の走りが取り上げられる事はありませんでした。
しかし、あの記事…。森幸春氏の手記にあった一文は忘れもしません。
「私は(森氏)ある日、生まれ変わった三浦君を見た。苦手としていた山を苦にもせず、先頭集団で登りを駆け上がっていく三浦君を・・・」
その後、三浦氏は才能を開花させ、市川雅敏氏に次ぐ日本人第二のプロサイクリストとしてヨーロッパで活躍しました。
私は、三浦氏と運良く(悪く?)数レース共に走っています。1986年の山梨国体ではほぼ平坦な131キロのコースで、100キロ地点からアタックをかけ、ラスト1キロまでそのまま行きました。
が、正確には私はアタックに乗ったに過ぎません。そのアタックのメンバーは、三浦さん、大門さん、佐藤稔実さん、安原さん、林さん(パナソニック)と、私。ローテーションの途中、私が先頭を引くとペースが上がらないので、林さんに「おまえ引くな、下がれ!」と言われたのを覚えています。ゴールまでラスト1kmの地点で集団に飲み込まれ、三浦さんと大門さんが舗道に飛ばされ「ドカン!バコン!」と激しい音を立てていました。
その年、プレ国体として沖縄で開催されたである都道府県対抗自転車競技大会。このレースで三浦さんは優勝しています。
私は…というと、ハンドルバーにコースの高低差のプロフィールを書いたものを貼り付け、サイクルコンピューターの走行距離と照らし合わせなから、繰り返されるアタックに乗るかどうかを判断しながら走った。
「どうせ誰も完走せんから,補給地点にいかんでもええやろ。」と先輩からありがたい言葉をスタート前受けていた為、前半の濃いメンバーのアタックにはことごとく乗りました。補給地点前には先頭集団から切れてしまいましたが、補給地点まで辿り着いてました。その時、グルペットでギリギリ完走を狙える位置にいたので、補給ポイントに居た他府県の補給係の中に見慣れた顔を見つけ、「補給ください」と催促するも無いと断られました。
そうしたら、奈良県の脇本君が「これ」といってサコッシュを私に渡してくれたのです。
サコッシュには「三浦」と書かれていました。嫌な予感を感じつつ、サコッシュを首からかけて中をあさると出てきたのが揚げパン…たしかウインナーだかコロッケも入っていたような記憶があります(笑)。
「これ,ビールのあてやろ!」と言いながら、奥のほうに入っていたバナナとヤクルトを流しこみ、関門通過ギリギリでゴールしました。
最終的な順位は100人中30位前後でした。
翌年、山梨で行なわれた全日本選手権。
180kmオーバーの距離があるにも関わらず、軽トラックがセカンドギアでやっと登れる坂が調整のつもりで100kmぐらい走って降りるつもりでいました。
当時のリアの変速段数は6速。私のローギアは21Tでした。前日に試走をしていて、「こんな坂のある細い道がコースなわけがない」と道を間違えたと思っていた道がコースでした。スタート前にシマノの選手のローギアが23Tであることを知り、昨日の道がミスコースでない事を悟りました。
100km程走って降りるつもりだったことは既に書きましたが、50キロちょいで先頭集団にラップダウンされてしまった。360人以上がスタートしたにも関わらず、私が降りた時点でまだ走っている選手は50人以下
でした。最終的にゴールしたのは12名。優勝は三浦さん。2位はシマノの国末さん。ゴール直後、国末さんが「三浦ありがとう!」と、2位に引っぱってくれた礼を言っていた。あまりに過酷なレースを走った結果、
2位の国末さんは病院送りとなり入院してしまいました。このレースが如何に過酷だったかを物語るエピソードです。
三浦さんについて一声でいうなら、細やかな,気配りの出来る人。もう一言付け加えるなら、物を大切にする人です。礼節をとても重んじる人でもあります。私は心底尊敬しています。
ある年の夏の合宿でのことです。三浦さん自身が、破棄するチューブラータイヤからチューブを取り出し、練習用として使用しているクリンチャータイヤのチューブに流用していました。
”あの”三浦さんが、ハサミを持ってチューブラーのリムフラップをはぎ、糸を切ってチューブを取り出していたのです。これには、「なんて物を大切にする人なんだろう!」と感動しました。
他にも、私が持っていっていたロードバイクのパーツを外してTTバイクをセットアップしたのですが、合宿が終わった2日後にはそのパーツが私のところへ郵送されてきました。